細川真之は阿波守護細川持隆の長子として天文7年(1538年)に生まれた。 天文22年(1553年)三好義賢によって父持隆は討たれ、以後真之は三好義賢の傀儡として利用された。
天正4年(1576年)勝浦の福浦出羽守連経を頼って勝瑞を脱し、茨ヶ岡城を築いて拠点とし、天正5年(1577年)には三好長治を荒田野で敗って敗死させるなどしたが、天正10年(1582年)十河存保が派遣した江村次郎大夫らの軍勢によって茨ヶ岡城は落城し、真之は自刃して果てた。
『細川真之の墓』は国道195号線が中山川を渡る橋の所に道標が出ており、これに従って進んで行くと民家の奥の山際の所に残っている。