阿蘇惟直は肥後の阿蘇大宮司で九代当主である。延元元年(建武3年/1336年)建武の新政から離反した足利尊氏は九州へ下った。宮方は阿蘇惟直をはじめ、菊池武敏、蒲池武久、星野家能などが足利尊氏を追討するため多々良が浜で戦ったが、総崩れとなって敗走、阿蘇惟直も深手を負って逃げるも肥前国小城郡天山付近で自害して果てた。
天山山頂にある「阿蘇惟直の墓」は、そのとき住民によって建立されたのが始まりとされ、現在の墓は大正13年に建立されたものである。
阿蘇惟直の墓のある天山は九州百名山にも選出されており、標高は1046.1mで一等三角点がある。登山道は各方面から付いているが、東の七曲峠から登るルートが登山者用のルートらしく、多くのハイカーが歩いてた。