富岡吉利支丹供養塔とりおかきりしたんくようとう
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富岡吉利支丹供養塔は、寛永14年(1637年)に起こった島原の乱で犠牲となった一揆軍の首級一万余りを三ヶ所に埋葬したうちの一つである。この首塚に天草初代代官鈴木重成が慰霊のため供養塔を建立した。
富岡吉利支丹供養塔は国道324号線を富岡城方面に進んでいくと道標がある。現在は公園となって駐車場も備えている。