平田太郎俊遠の墓ひらたたろうとしとおのはか
△トップに戻る
平田太郎俊遠は平家の家人で平田城主であった。源頼朝が挙兵したとき、土佐に配流されていた頼朝の弟である源希義を蓮池家綱とともに討ちとった。しかし、平家を滅ぼした頼朝は梶原朝景らの大軍を派遣し、平田俊遠は平田城に籠もって戦ったが敗れ、黒川の地で討死した。
平田太郎俊遠の墓は平田城から中筋川を挟んだ南側にあり、水田のなかに今も石塔群が祀られている。