可児吉長こと可児才蔵は美濃出身で、関ヶ原合戦によって広島藩主となった福島正則の家臣である。慶長18年(1613年)に没し、才蔵峠(さいぞうたお)と呼ばれる西国街道の要衝に墓碑を建て、その碑文として「生国尾州葉栗郡楽典郷 かにさいざう藤原吉長 干時慶長18年11月24日」と刻んでいる。
可児才蔵の墓は才蔵寺の境内にある。この境内には「ミソ地蔵」と呼ばれる地蔵があり、「頭にミソをのせて祈願すると希望校に合格できる」と云われている。このミソ地蔵の奥にあるのが可児才蔵の墓碑である。
また、境内にはこれとは別に新しい供養塔もあり、入口には可児才蔵の像もある。