詳細不明。天文22年(1553年)将軍足利義輝が三好長慶によって京を追われたときに「すい坂」に滞在した後に丹波を経て近江へ移っており、この「すい坂」が杉坂とされ堂ノ庭城に比定する説もある。
堂ノ庭城は京見峠の北側、標高479.6mの城山に築かれている。
単郭の城で三角点のある山頂部に主郭がある。主郭は土塁で囲繞するが、土塁の内側も段差が多く不整形な地形が多い。中央部が高くなり、土塁に近い部分が削られて低くなる。土塁の北側には2.5m四方ほどの土壇A、南側にはさらに小さな土壇Bがあり、北西隅Cはやや西側に張り出している。
主郭の北側面には横堀3、4が設けられ、さらに外側にも犬走状地形が一段ある。横堀は中央Dの部分で一旦閉じられて東西に別れている。主郭の虎口は明確ではないが、土壇Aの外側にも段があり、Dに続く通路が確認できる。Dから北下の犬走りに下ると、北尾根に続く山道に接続している。
南西に続く尾根には堀切1があり、その脇に竪堀2がある。竪堀の脇にある低土塁を伴う空間IIは曲輪と考えられ、竪堀側にも土塁を備える。
京見峠の北側から県道を別れて氷室町に続く道がある。これを進んで行くと貯水池があるが、そこから城山に続く道がある。車は西側の林道入口のあたりが広く駐められる。
最寄り駅(直線距離)