詳細不明。古代に烽(とぶひ)と防人が居た所と伝えられている。
豊臣秀吉による文禄・慶長の役で、文禄元年(1592年)小西行長・宗義智らの軍勢は大浦湾を発して朝鮮に渡っていることなどから、この頃に対岸の撃方山城とともに湾を守る山城として使用されていたものと考えられている。
結石山城は大浦湾に面した標高190mの城山に築かれており、現在は公園として整備されている。
公園となっているものの遺構は乏しくわずかに三段ほどの曲輪があり、一部石垣が露出している程度である。この城は発掘調査が行われており、礎石建物跡や柵列が検出されている。
結石山森林公園の駐車場が山頂近くにあり国道から車で登ることができる。