享禄元年(1528年)宗将盛によって築かれた。 大永6年(1526年)対馬島主15代宗将盛は池の屋形を築いて居所としたが、享禄元年(1528年)豆酘郡主の一族が謀叛を起こし池の屋形は焼失した。この乱の後に将盛が新たに築いたのが金石城の前身である金石屋形である。
その後代々宗氏の居城であったが、20代宗義智のとき、豊臣秀吉による朝鮮の役が勃発し、金石城の北に聳える清水山に清水山城が築かれ、金石城もまた近世城館として改修されていった。
延宝6年(1678年)22代宗義真のとき桟原城を築いて居城を移したが、その後も金石城は存続していた。
金石城は対馬市役所の北西にある谷間に築かれている。
金石城は東の櫓門跡、西の搦手門跡、発掘調査のあと整備された『旧金石城庭園』などがある。東の櫓門は大正期まで現存していたが、今は復元されたものである。庭園は貴重な遺跡として国指定名勝となっている。
金石城の西側には万松院があり、その北の山腹に対馬藩宗家墓所がある。
大手門(復元 櫓門)