築城年代は定かではない。 今川氏が没落し、大井川を国境に駿河国を武田氏、遠江国を徳川氏が領することとなったが、武田氏は大井川を越えて遠江国に侵攻し小山城を修築した。
元亀元年(1570年)徳川氏が小山城を落としたものの、元亀2年(1571年)再び武田氏によって奪還された。この時、武田氏は城を改修し大熊長秀を城主として守備させた。
信玄が没し勝頼の代になると高天神城などを落とし遠江国に勢力を伸ばしたが、天正3年(1575年)長篠の合戦で織田・徳川氏に大敗すると高天神城も奪還され小山城も徳川氏の手に落ちた。
城は能満寺の背後にある東西に伸びる丘に築かれている。 大井川を背に東端が主郭で西側に三重堀が施されている。
現在は模擬天守が建つとともに丸馬出や空堀、土塁が復元されているが、三重堀は状態よく残っている。
天守(模擬 天守)
能満寺近くに能満寺山公園の駐車場が有り、そこから遊歩道が設けられている。
最寄り駅(直線距離)