築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)頃に山内対馬守道美によって築かれたと云われる。応永8年(1401年)に天方城を弟山城守に譲って道美が築いたのが飯田城とされる。
飯田山内氏は道美の後、久通、通泰と続いたとされる。室町時代には今川氏の被官となった。今川氏没落後は三河の徳川家康と甲斐の武田信玄によって争奪戦が繰り広げられ、永禄12年(1569年)徳川家康は榊原康政・大須賀康高らに飯田城を攻めさせ山内通泰は討死して落城した。元亀3年(1572年)には武田信玄の大軍が押し寄せ落城したが、その後徳川家康に奪還された。
飯田城は太田川の東岸にあり、太田川に面した丘陵の西端に築かれている。
主郭には石碑と案内板が建ち、周囲に土塁が巡っている。西へ伸びた尾根には堀切や削平地があり、周囲は茶畑や竹藪となっているが高土塁などが残っている。
県道58号線森町飯田郵便局の辺りから東の集落内に入り崇信寺を目指す。ここから城址に至るのに場所がわからず苦労した。 崇信寺から南へ続く茶畑の道を歩いて行くと左上に墓地が見える。その辺りの突き当たりで道は左右に分かれるが、右側に進んでいくと小道となって川の方に降りる道となる。ここに飯田城入口の道標があり上が本丸。
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