但馬 備後衆山砦たじま びんごすやまとりで
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詳細不明。鶴城の出城とみられているが詳らかではない。
備後衆山砦は現在の正福寺の境内のある低丘陵に築かれていた。 正福寺はもともとこの山の西麓にあり、忠臣蔵で著名な大石内蔵助の室である「りく」の遺髪塚があることで有名である。
円山川の河川改修により正福寺が山上に移転した際に発掘調査が行われたが、主郭は標高26mの山頂にあって、30m程のほぼ方形であったという。
現在は北端に祠が祀られた小郭があり、そこから北東に伸びる尾根に堀切を挟んで曲輪が残っている。