周防 須々万沼城すおう すすまぬまじょう
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築城年代は定かではない。
天文24年(1555年)陶晴賢を厳島の合戦で敗った毛利元就は、その勢いに乗じて大内氏の防長へと侵攻するが、その防長侵攻の中で最大の激戦となったのが、この沼城での合戦である。
城は保福寺の背後の丘陵に築かれている。三方が深田や沼で囲まれた要害であったらしいが、現在残っている部分だけではとても要害であったことが想像しがたい。