築城年代は定かではない。永正年間(1504年〜1521年)に清野山城守勝照によって築かれたとも云われる。
清野氏は近くの西条氏や雨宮氏に一族を入れて勢力に取り込むなど力を持っており、後に村上氏に属した。しかし天文19年(1550年)に寺尾氏とともに村上氏を離れて武田氏に味方し、天文22年(1553年)に塩田城の村上義清を攻めたとき、清野右近太夫は武田晴信から信の字を賜っている。
天正10年(1582年)武田氏滅亡後は上杉景勝に従い、慶長3年(1598年)上杉景勝が会津へ転封となると、清野氏もこれに従い一万一千石を領した。
鞍骨城は松代町の南西に聳える標高798mの鞍骨山に築かれている。
主郭は山頂にあり、急峻な地形に石積を設けて平場を確保し、南に虎口を開く。主郭部一帯は石積が多く、小さな帯曲輪程度の小郭が周囲に付く。東へ伸びた尾根は細尾根であるが、途中に堀切を三条設けている。
主郭から南へ伸びる尾根には主郭のすぐ下に溜め池のような小さな凹みの付いた腰曲輪があり、そこから下に向かって小郭が続く。そこからさらに降りて行くと比較的広い曲輪群となり、南端は西側に竪堀を落としている。
主郭から西へ続く尾根が大手方面と考えられ、堀切の先の尾根は尾根上の曲輪と南北両側に一段低い帯曲輪があり、北や南の山腹に竪堀を落としている。西尾根は二重堀切で遮断し、さらに西へ100m程離れた所に大堀切が一条ある。
北尾根の先端にある妻女山の公園から「あんずの里ハイキングコース」が尾根伝いに続いており、天城城を経由して鞍骨山頂に登ることができる。また、同じ所から林道をしばらく歩き鞍骨山の北側(地図)の辺りから一気に登る道がある。
最寄り駅(直線距離)