築城年代は定かではない。伝承によれば、平安時代末期の保元年間(1156年〜1159年)に岡田冠者源親義によって築かれたと伝えられる。
室町時代には岡田氏の末裔の後庁氏あるいは井深氏が小笠原氏に属して在城していた。天文19年(1550年)武田氏が松本平に侵攻して小笠原氏を攻めた際、林城などとともに自落したとも、武田氏に降った稲倉城主赤沢氏によって攻略されたとも云われる。
伊深城は標高916mの伊深城山に築かれている。
主郭は山頂にあって南北に長く北端に土塁が付いている。南西側に虎口があり、そこからの坂は主郭を取り巻く帯曲輪や腰曲輪を東西に分断している。。主郭部周辺には石積跡がいくつか残っており、南側の山腹には竪石塁と竪堀がある。主郭の北背後は深い二重堀切で、その背後に小郭と浅い堀切が100m程先まで続いている。
主郭から南へ降りた所にも曲輪があり、二条の空堀によって南北を分断し、竪堀として延びている。更に南へ降りていくと標高870m付近からは広大な平地が拡がっている。この辺りが城域に含まれるのか定かではないが、途中一箇所だけ浅い空堀状の地形が東西に残っている。
松本有料トンネル東側出口のすぐ北側が伊深城山。南東の山腹にある若宮八幡宮の境内から遊歩道が山頂に続いている。神社境内の直ぐ下に駐車場がある。
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