築城年代は定かではないが長沼氏によって築かれたと云われる。 長沼氏は結城朝光の五男朝良が下野国長沼に住んで長沼氏を称した事に始まり、長沼朝教のときにこの地に来住したという。
戦国時代の城主は長沼五郎武俊で千葉氏に属していたという。
長沼城は比高22mほどの独立丘陵で現在は「長沼市民の森」公園として整備されている。
湿地帯に浮かぶ島のような立地であったと考えられている。山上には広い曲輪があり、ところどころ土塁が残る。北西部には一段小高くなった土壇があるがその性格は不明。
曲輪の西下に南北に長く伸びた横堀があり、見どころとなっている。
南側に稲荷神社への参道入口があり、ここから登っていける。入口付近に駐車可能。
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