文治3年(1187年)那須資隆の二男次郎泰隆が佐久山を分知され佐久山氏を称したのが始まりである。この泰高は現在の佐久山小学校付近に居館を築き、背後の御殿山に砦を築いたとされる。
永禄6年(1563年)佐久山泰秀は同族の福原資孝に攻められ佐久山城は落城、泰秀は入江野に逃れ入江野城を築いて入江野氏を称した。その後、天正14年(1586年)入江野泰清の時に那須資晴に滅ぼされた。
佐久山城を落とした福原資孝は佐久山城を廃し、資孝の子資保は御古屋敷館を築いて片府田城より移った。
慶長3年(1598年)福原資保は二千六百石余りを領し、後に加増されて四千六百石の旗本として続き、元禄15年(1702年)福原資倍が佐久山城跡に佐久山陣屋を築き、明治まで続いた。