築城年代は定かではないが貞治年間(1362年〜1368年)に益子勝直によって築かれたと云われる。
勝直は「益子系図」に「勝直は安正が嫡子なり、実は益子越前守嫡男にて益子喜太郎をと称し、市花輪に住す。安正卒すとき、嫡子十郎丸幼きに依て勝直後見として守を継ぐ。応永2年(1395年)益子城を築いて移る」とある。
日枝神社とともに祀られている熊野神社御由緒によれば、長暦2年(1038年)紀貫之五代後裔市花十郎直正が館の守護神として祭ったのが始めと伝えられる。
市花輪館は市貝小学校から南西方向に続く微高地の先端部分に築かれていたという。 現在館跡は宅地や畑となっており、遺構の残存状況は良くないという。 この館の守護神という熊野神社が小学校の北側、日枝神社の所に祀られている。