|
|
写真館(39枚)
- 史跡指定
-
市指定史跡
- 形態
-
平城
- 歴史
-
安元元年(1175年)足利俊綱によって築かれたと云われる。
治承5年俊綱は志田義広が源頼朝に背いて挙兵したとき、義広に応じたが敗れ家臣桐生六郎によって殺害されたという。
建久元年(1190年)戸賀崎義宗が城主となり城を再興したという。
戦国時代には子孫赤見伊賀守の時、佐野泰綱に背いたため泰綱に攻められ敗れ常陸国へ逃れた。その後は佐野氏の支城となったという。
- 説明
-
城は本丸を中心に、南東に二の丸、南に三の丸、北に北の丸、西に西の丸があったと伝えられている。
現在は本丸が赤見城保育園の敷地となっているが、南側を除く三方が高土塁で囲まれ、その周囲を濠が巡る。西側と北西側の土塁は二重になっており、この土塁の外側にも濠がある。城の中心部の一部しか残っていないが、残存部の状態は非常に良好である。
- 城主
-
足利俊綱,戸賀崎義宗,赤見氏
- 所在地
-
栃木県佐野市赤見町町屋(赤見城保育園)
-
- 最終訪問日
-
2009年4月
|