築城年代は定かではないが金子掃部助によって築かれたと云われる。
金子掃部助は文明9年(1477年)長尾景春の乱に呼応して小沢城に立て籠もった。刻を同じく蜂起した溝呂木城と小磯城は三浦氏らの相模勢が押し寄せるとすぐに自落したが、この小沢城は容易に落城せず二ヶ月ほど持ちこたえ、一度は落城して逃亡したものの再び立て籠もり、翌年小机城が落城するまで持ちこたえたという。
小沢城は相模川の段丘の北端に位置し、半島状に北へ伸びた台地の先端に築かれている。現在は大半が畑として開墾されているが、その周囲には土塁が残っている。南側には堀切があったと思われるが、現在は埋まっている。
案内板は入口脇の水道施設のフェンスの中にある。
住宅地の脇を抜けて下の県道に降りて行く細い道があり、そちらへ進んで行くと水道施設と畑が見える。
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