築城年代は定かではない。英祖王の子が中城按司となって築いたのが始まりとされる。
1440年座喜味グスクから護佐丸が中城グスクへ移封となり、中城按司となる。この護佐丸によってグスクは改修されたと云われる。
護佐丸が中城グスクへ移ってきた理由は、勝連グスクの按司阿麻和利に備えるためであったと云われる。しかし、勝連グスクの阿麻和利に備えるためにグスクを改修し、兵馬の訓練をしていた護佐丸が、かえって阿麻和利によって謀反の疑い有りと諫言され、それに真に受けて派遣された阿麻和利率いる王府軍に攻められた護佐丸は、幼い三男を逃し、自身は他の家族もろとも自刃したという。
中城グスクは標高167mの丘陵に築かており、現在は国指定史跡として整備されている。
沖縄県で遺構がよく残るグスクの一つであり、幕末に来航したペリー提督が調査し称賛した石塁が今なお残されている。
城の構造は主郭である一の郭から東へ二の郭、三の郭、西には南郭があり、北に西の郭と北の郭となる。正門は西の郭西端、裏門は北の郭東端となる。グスク全体に曲線のある石塁が取り巻き、横矢の張り出しや井戸などもある。
グスクの北東側麓に無料駐車場がある。中城グスクは有料である。