近江 大嶽城おうみ おおづくじょう

城郭放浪記


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近江 大嶽城の写真
掲載写真数
形態
山城(496m/380m)
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀
城 主
不明
歴 史

築城年代は定かではない。大永3年(1523年)浅井亮政が小谷城を築いた初期の本丸があった所とも云われる。

元亀3年(1572年)には援軍に駆けつけた朝倉氏が布陣したが、天正元年(1572年)八月に織田軍によって攻め落とされ、形成を不利とみた朝倉義景は一乗谷を目指して退却を始めた。これを好機と見た織田信長は、小谷城の包囲を嫡男信忠に任せ、自ら先頭をきって朝倉軍の追撃を実行し、刀根坂の戦いで朝倉軍に壊滅的な打撃を与えた。織田軍によって朝倉氏の居城である一乗谷は焼き払われ、朝倉義景は大野まで逃れたが、一門である朝倉景鏡の裏切りにより自刃して果て、越前朝倉氏は滅亡した。

説 明

大嶽城は小谷城のある小谷山の山頂に築かれている。

主郭は山頂にあり、低いながらも分厚い土塁が周囲を巡っている。山頂からは東、南、西北西の三方に尾根が伸びている。東尾根は小谷城の本丸のある尾根で、こちら側は平段が所々あるが、ほとんど遺構らしい遺構はない。西北西の尾根は二重堀切によって遮断している。そして南尾根には同じく朝倉勢が布陣した福寿丸山崎丸があり、この大嶽城の大手もこの南尾根に向いている。

主郭の西から南下にやや緩やかな地形の段があり、その外側に土塁が巡っている。曲輪の内部には通路か堀状の窪地がある。さらに南下に二段方形に土塁が付いた曲輪があり、その西側から巨大な竪堀が一条、かなり下方へと伸びている。この竪堀は下では緩やかにカーブを描いている。さらに西へ回り込むとここにも一条大きな竪堀が落ちている。先の竪堀を降りていくと、竪堀の下にさらに一段の平段があり、その下に堀切が付いている。

案 内
最寄り駅(直線距離)
2.9km 河毛駅
3.3km 高月駅
4.8km 虎姫駅
6.5km 木ノ本駅
所在地/地図
滋賀県長浜市湖北町伊部
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
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5.2km 近江 西物部城
最終訪問日
2012年11月
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