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写真館(108枚)
- 史跡指定
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国指定史跡
- 形態
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山城(384m/-)
- 歴史
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築城年代は定かではない。
城主は土肥氏ともいわれるが、堀氏が有力視され、堀氏の出自は詳らかではないが藤原秀郷流とされている。
この城は観音寺城佐々木六角氏と上平寺城京極氏・小谷城浅井氏との間で幾度か争われ、堀氏はその狭間で度々主家を変えている。
織田信長が越前朝倉氏を攻めると、浅井氏は朝倉氏と通じ織田氏と対峙するようになる。
堀氏は織田方へついたため、浅井氏によって攻められるが織田氏の援軍によって辛うじて落城を免れている。
天正2年(1574年)堀氏は織田氏によって粛正され滅亡した。
- 説明
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標高384mの所に堀切を挟んで南北に主郭と副郭を置き、北西と西に伸びる尾根に曲輪を並べ、背後の南東側に伸びる尾根に堀切を数ヶ所設けている。
主郭は頂部北側の曲輪で南側背後をコの字に土塁を設け、北側に石垣、石段を伴う虎口を開いている。主郭の背後は堀切を設け、副郭を置き、これも背後の西と南側に土塁を設けている。
北西に伸びる尾根には数段の曲輪を置き、この尾根の先端は3条の堀切がある。一番北側の曲輪は削り残しの土塁、東側に虎口があり、その南の曲輪は石垣と石段のある虎口となっている。また西面には大石垣が残されている。
発掘調査により、この2つの曲輪の間には石垣を伴う通路状の遺構が見付かっている。
西に伸びる尾根は高低差が大きく数段の曲輪を備え、途中2条の堀切で断っている。尾根の先端に1条の堀切があり、その手前の曲輪の南側斜面に数条の畝状竪堀がある。
南東に伸びる尾根は非常に狭く切り立っており、堀切が数ヶ所残されている。この先には「青龍の滝」があり、ここから水を得ていたらしい。
- 城主
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堀氏
- 案内
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淡海の文化財の文化財学習シート(史跡・名勝・天然記念物編)に鎌刃城に関する資料がPDFで取得できる。
番場の麓から登山道があるが、車で近くまで行くことが可能である。
名神高速のジャンクションから林道があり舗装された道を行くと、青龍の滝付近(GoogleMapsの地図は位置が違っている)に右背後へ続く未舗装の林道がある。これが案内も何もないのでわかりづらい。国土地理院の地図を参照すると、途中から道が狭く描かれているが舗装された道となっている。
この未舗装となった林道を少し行くと、鎌刃城への登山口がある。登山口付近にやや広いスペースがあり駐車可能であるが、未舗装になった直後にあるスペースに駐車したほうが無難かもしれない。
注意しなければいけないのは、南西側にある「滝谷林道」は車で通らないこと。ここは未舗装で非常に狭く何度か谷へ滑り落ちそうな箇所があり、普通車は非常に厳しい。(と経験者が語ります...)
- 所在地
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滋賀県米原市番場
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- 最終訪問日
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2007年11月
- 縄張図
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現地案内板より
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