慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の功によって井伊直政が十八万石で上野国高崎より入封、石田三成の居城であった佐和山城へ入った。直政はすぐさま新城の築城を計画したが、慶長7年(1602年)に没し、嫡男直継が家督を継ぎ、慶長9年(1604年)から築城が始まった。
彦根城の築城は幕府から命ぜられた十二の大名が手伝ったが完成したのは元和8年(1622年)頃であった。
国宝となった天守は大津城天守を移築したものと伝えられ、もともと五階四重であったものを三階三重にしたもので、墨書きから慶長12年(1607年)に完成したことが確認されている。
彦根城の残存建物の中でも特に美しいのが重要文化財に指定されている天秤櫓。大堀切に架かる木橋は天秤櫓の門を潜る。両脇には二重櫓があり、内側に向かってコの字になる。この天秤櫓は長浜城の大手門を移築したと伝えられている。
彦根城には天守をはじめ三基の三重櫓があったが、その一つが現存する西の丸三重櫓である。もう一つは山崎曲輪にあったが明治初年に解体された。西の丸三重櫓は三重櫓を中心に東と南に続多聞櫓を付設してl字になっている。
太鼓門櫓及び続櫓も現存し重要文化財に指定されている。この城門もかつてどこかの城の城門であったものが、この彦根城に移築されたものと判明したが、移築元の城は不明である。
天守(現存 天守)
太鼓門櫓及び続櫓(現存 櫓門)
西の丸三重櫓(現存 櫓)
天秤櫓(現存 多聞櫓)
佐和口多聞櫓(現存 多聞櫓)
周辺に有料駐車場が多数ある。内堀より内側が有料区画であるが、開門前でも中に入ることはできる。天守や櫓などは全て解放されていて見学可能である。
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