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写真館(3枚)
- 形態
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居館
- 歴史
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慶長11年(1606年)長連龍によって築かれたと云われる。
長連龍は長氏中興の祖ともいわれ、天正5年(1577年)上杉謙信が七尾城に侵攻すると織田信長に援軍を請う為に安土城へ赴いたが、遊佐続光の謀反によって七尾城は落城し、父続連、兄綱連は謀殺された。その後穴水城を落とすなど転戦し天正9年(1581年)には遊佐父子を櫛北村で捕えて七尾で斬った。その後は前田利家の与力となって各地を転戦した。
慶長11年(1606年)家督を嫡子好連に譲り田鶴浜館を居所としたが、慶長16年(1611年)に好連が早世した為、連龍が再び表舞台に立ち、元和元年(1615年)大坂の陣では前田利常の先陣として出陣した。元和5年(1619年)連龍は田鶴浜館で没した。寛文2年(1671年)尚連の代まで居所として使用されたと云う。
- 説明
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得源寺境内が館跡とされる。北側の梵鐘の東に土塁が東西にあり櫓台もあったようであるが、現在では土塁はほとんど残っていないようである。
- 城主
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長連龍,長好連,長連頼,長尚連
- 所在地
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石川県七尾市田鶴浜町(得源寺)
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※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2009年8月
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