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写真館(44枚)
- 別名
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形山城
- 形態
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山城(288m/260m)
- 歴史
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築城年代は定かではないが大永7年(1527年)には大内家臣高森内膳之助が在城していた。それ以前にも青山弾正なる人物が在城したと云い伝えられているが、青山氏に関しては不明である。
大永7年(1527年)高森内膳之助と北の尾根続きにある且山城主内藤興盛と争いとなった。高森氏は津原膳勝、津田興輝の加勢を得て一万二千の軍勢で且山城を取り囲んだが、大内氏の加勢を得た内藤氏によって形勢が逆転し、瞬く間に青山城は攻め落とされたと云う。この戦いは「青山くずれ」と呼ばれ、このとき戦死した兵士の墓が付近に多く見られるという。
その後は高橋某、内藤隆春(内藤興盛の子)が在城したという。
- 説明
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城は標高288mの青山(形山)の山頂に築かれている。
現在山頂には無線中継施設が建てられており主要部が破壊されているが、石垣と堀切、畝状竪堀群が残っている。
畝状竪堀群は無線中継施設の西と北斜面にあり、ともに堀切を起点として放射線状に山麓に向かって広がるように設けられている。特に西側の竪堀群は状態が良い。
石垣は西側の小さな無線中継施設下にあって西から南側に残る。岩の上に積み上げられた石積もある。また、頂上から道路を南側に回った所にも削平地があり、この下にも石垣と竪堀が残っている。
現在残っている畝状竪堀群などの遺構は毛利氏が大友氏に備えて改修したものと思われるが、残された部分の遺構が良いだけに、主郭部が破壊されているのが非常に残念である。
- 城主
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青山弾正,高森内膳之助,高橋某,内藤隆春
- 案内
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無線中継施設へ車道が通っているが関係車両以外は通ることはできない。この車道以外に東麓の田倉地区から登山道がある。また且山城からの縦走路もある。 - 所在地
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山口県下関市大字田倉(青山)
- 周辺施設
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- 最終訪問日
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2009年2月
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