築城年代は定かではない。中世には大崎氏の一族で百々氏の分流である涌谷氏の居城であったと云われる。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐に参陣しなかったことから、大崎氏は改易となり、葛西大崎一揆の後は伊達政宗の所領となった。政宗は天正19年(1591年)亘理城主亘理重宗に遠田郡への転封を命じ、重宗は最初百々城を居城としたが翌年涌谷城へ移り、家臣の長谷景重を百々城に置いた。
江戸時代に入ってからも涌谷要害として維持され、慶長9年(1604年)亘理重宗が隠居して高清水要害に隠居領一千石をもって移ると、嫡男定宗が家督を継いだ。慶長11年(1606年)伊達政宗の庶子宗根が亘理重宗の娘を娶り、あわせて亘理家の名跡を継ぐこととなったため、定宗には伊達姓が与えられ、これによって涌谷伊達家が興った。以後、涌谷伊達家が代々続いて明治に至る。
涌谷城は江合川に沿って南北に伸びた丘陵に築かれていた。現在は城山公園として整備されている。
現在涌谷神社の境内となっている部分が一段小高く本丸で、川に沿って南へ伸びた丘陵の南端に太鼓堂と呼ばれる二重になった櫓があり、その脇に資料館として天守風の建物が建っている。
太鼓楼は二重櫓と呼ばれているが、一般的な二重櫓とはサイズが一回りも二回りも小さい建物である。その下方には「下の詰之門石垣」と呼ばれる石垣が残っており、妙な反り方をしている。
天守風の資料館は残念ながら定休日で入ることができなかった。
太鼓堂(現存 櫓)
模擬天守(模擬 天守)
涌谷神社との間に無料の駐車場がある。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。
入場時間 | 午前9時-午後4時まで(ただし入館は午後3時30分迄) |
休館日 | 水曜日・国民の祝日の翌日 毎年12月から翌年3月30日まで |
料金 | 一般・大学生210円 高校生150円 小・中学生100円 |