延徳3年(1491年)南部光信(大浦)によって築かれたと云われる。 津軽藩初代津軽為信の祖とされる光信は、延徳3年(1491年)九戸郡下久慈より入部した南部一族と云われる。
文亀2年(1502年)光信は大浦城を築き、子の大浦盛信を置いた。光信は大永6年(1526年)種里城にて没し、以後、大浦氏は大浦城を本城として五代為信の代に至る。この為信は久慈城主久慈信義の弟十郎が津軽郡代の石川高信を頼り後に大浦氏の養子となったという説がある。
種里城は赤石川西岸の丘陵に築かれている。丘陵は西側の山塊と山続きであるが、北と南から大きく谷が入り、半ば独立したようになっている。
本丸は発掘調査によって多数の柱穴が検出され、現在平面復元されている。その前方には光信公の像と歴史資料館「光信の館」が建てられている。開館日が5月から10月の金土日祝と限られており、GWでくるにはスケジュール調整がなかなか難しい。津軽氏に関連する展示が充実しているが、写真撮影不可で図録のようなものもないのは残念である。
西側の谷下には光信の廟があり、そこに下ると堀が見える。
歴史資料館「光信の館」の開館日は5月から10月の金土日祝日なので注意が必要。
麓に駐車場とトイレがある。
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