築城年代は定かではない。四本松城(塩松城)という呼び名はこの古館と住吉山城を指す場合があるようである。
応永7年(1400年)塩松を支配していた宇都宮氏が斯波氏に敗れ、その一族であった石橋棟義が塩松を統治するようになった。石橋氏(後に塩松氏)は文明3年(1471年)五代義衡のときに住吉山城へ居城を移したが、八代尚義のときに再び四本松城へ移ったという。
天正8年(1580年)尚義のとき家臣の大内義綱によって追放され、塩松石橋氏は滅亡した。
四本松城は口太川に面した急峻な標高316mの山に築かれており、現在は主郭部が公園となって整備されている。
主郭は山頂にあり南の方に岩があって社が祀られ、四本松城の石碑が建っている。北へ続く尾根には大堀切があり、東に向かって伸びた尾根にも堀切が残るようである。主郭の南東下には民家があり、おそらくこの山の地主の家であろうか。
南東にある道路入口に案内板がある。ここから主郭まで道が付いている。
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