築城年代は定かではない。
建武元年(1334年)北畠顕家の国宜にみえる工藤右近将監がいたと考えられているが定かではない。
建武2年(1335年)南部師行の弟南部政長は新田義貞の鎌倉攻めに馳せ参じて功を挙げ、七戸は政長に与えられた。以後、七戸南部氏の代々の居城となった。
康正2年(1456年)蠣崎蔵人の乱、文明15年(1483年)三戸南部の御家騒動で落城したという。
天正19年(1591年)九戸城主九戸政実が宗家三戸南部信直に謀叛を起こした九戸の乱で、七戸南部家国は政実に味方した。南部信直は豊臣秀吉に援軍を要請し、秀吉が派遣した奥州仕置軍によって乱は平定され、七戸南部氏は滅亡し翌年には廃城となった。
七戸の重要性から浅水城主南直勝が七戸氏の名跡を継ぎ、慶長2年(1597年)にはその子直時が七戸二千石の城主となった。直時が没し、正保4年(1647年)南部利直の五男重信が七戸氏を継いだが、寛文4年(1664年)には南部宗家を継ぐこととなった為、南部直轄地となり、七戸代官所が設けられた。