築城年代は定かではないが鎌倉時代に長江次郎義景によって築かれたと云われる。 長江氏は鎌倉権五郎景政の末裔と云われ、文治年間(1185年〜1190年)に源頼朝より深谷庄を与えられ、この地に居館を構えたことに始まる。
天正16年(1588年)長江播磨守勝景入道月鑑は、伊達政宗の家臣泉田安芸とともに大崎合戦に出陣したが、後に政宗との関係が悪化して出羽へ逃れる途中に討たれ、長江氏は滅亡した。
小野城(桜ヶ森館)は鳴瀬未来中学校・鳴瀬桜華小学校の北にある梅ヶ森館から谷を挟んだ北側に築かれている。『日本城郭大系』では小野城の南に桜ヶ森館を示しているが、現地の案内板に従い、大系の小野城を小野城(桜ヶ森館)、桜ヶ森館を小野城(梅ヶ森館)として紹介している。なお、松ヶ森館は未確認である。
桜ヶ森館は谷を挟んで北と南にそれぞれ北郭、南郭があったようである。南郭は南側の道路から農道が一直線に背後の堀切まで通じており、そこから登ると南郭にある石碑の所まで行くことができるが、この他は薮の中で見に行く気になれず下山した。
梅ヶ森館にある案内板からそのまま西へ車道を進むと北の山上に登る道がある。
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