築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)に新田政持によって築かれたと云われる。一説に新田氏ははじめ北方にある古館に居たとも考えられている。
新田氏(にいだ)は根城南部氏五代南部政長の二男政持が祖で、建武3年(1336年)の「浅利六郎四郎清連注進状」に新田彦次郎政持の名があり、このときには新田氏を称していた。
新田氏は根城南部氏の重臣として代々続き、寛永4年(1627年)根城南部氏二十二代南部直義のとき一万石で遠野へ転封となり、新田氏十二代新田義実もこれに従いこの地を去った。
新田城は新井田川東岸の標高39m程の丘陵の上に築かれていた。 現在新田八幡宮の境内となっているのが本丸で、隣にある新井田小学校の辺りが外館であった。かつてはこの間に空堀があったが、現在は殆ど埋め立てられている。
新田八幡宮まで車で登ることができる。
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