築城年代は定かではないが天文19年(1550年)頃に山ノ内右近によって築かれたと云われる。
山ノ内右近は玉縄城主川口(山ノ内)俊甫の娘婿で、はじめ雀ヶ城の城主であったが、天文19年頃に宮崎に移り住み、宮崎右近と称した。
天正18年(1590年)伊達氏が山ノ内領に侵攻してくると、宮崎右近は伊達氏に従って先陣を務めたという。
宮崎館は只見川に面した台地に築かれている。現在は公園として整備されている。
近くに上田ダムがあるため只見川本来の水位とどの程度の比高があるのかわからないが、只見川を背にする形で曲輪が配置されていたようである。
現在は本丸が公園となり、北に土塁と空堀が残っている。
道の駅「奥会津かねやま」に隣接する公園で道の駅の南側に入口があり案内板が設置されている。
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