築城年代は定かではない。南北朝時代に南朝方の北畠顕微信が一時三沢城に籠もって北朝方と戦っている。
慶長年間(1596年〜1615年)には三沢信濃守頼母の居城と伝えられる。
三沢城は大聖寺の西に聳える標高130m程の山に築かれている。
三沢城は標高130m付近の主郭部とそこから北へ伸びた尾根の標高60m付近にある二郭の二つの曲輪から成っており、いずれも横堀を用いた陣城と推測される縄張りである。
北の二郭は楕円形に横堀を二、三段巡らせているが、堀はかなり浅く、東側はほぼ帯曲輪である。南の主郭側には堀切などを設けておらず自然鞍部となる。
主郭部は山頂の主郭の北から西に掛けて二段の横堀を巡らせており、横堀には横矢の屈折を設けている。虎口は北端にあって複雑に折れているが、あまりに藪で構造が把握できない。
伊達氏の陣城の一つと思われ、遺構の状態は良いのだが、現状は藪が激しく歩くだけで精一杯のところが多い。
東麓にある大聖寺に案内板が設置されており、登山道も境内奥の墓地右側から登っていくようになっている。
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