築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)に相馬盛胤によって築かれたと云われる。相馬氏が伊達氏に備えるために築いた城で、藤崎摂津、その子久長が城代を務めた。
天正17年(1589年)伊達政宗は駒ヶ嶺城を攻略し、黒木宗元や桜田元親を置いて相馬氏に備えた。
江戸時代に入ると仙台藩の境目として新田下総、冨塚長門、享保3年(1718年)からは「所」を拝領した宮内氏が代々住んだ。
明治の戊辰戦争では仙台藩の本営が置かれたが新政府軍によって落城した。
駒ヶ嶺城は駒ヶ嶺小学校の北にある比高50mほどの山に築かれている。
駒ヶ嶺城は北西側に二段構えの巨大な横堀を配して山から切り離し、本丸である本館を中心に東下に二ノ館、北に三ノ館、南西に西館など複数の曲輪を配している。本館は北と南にそれぞれ枡形虎口を有し、南は西館に土橋で繋がり、さらに鋭角に曲がって二ノ館へと通じる。現地の案内板ではこちらが搦手と書いてあるが、大手ではないだろうか。
南側から城へ入る道があり道標が出ている。
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