天正15年(1587年)武藤和泉守によって築かれたと云われる。 八幡館主であった武藤和泉守が新しく築いたのが新館であったが、天正17年(1589年)蘆名氏が滅亡したことによって完成することなく破棄されたと考えられている。
新館は慶徳ふれあい館の辺りを南端とし、その北側に築かれていた。
『喜多方市史』に掲載されている1963年の航空写真では、南西隅が南に張り出した地形が残されており、水堀が巡っている。ただ判明しているは東辺と南辺一帯のみで、西から北にかけてのプランは不明である。
現在の慶徳ふれあい館の西に隣接する民家が南西隅の突出部分にあたる。