築城年代は定かではないが長坂千葉氏によって築かれたと云われる。
長坂千葉氏は下総千葉介の一族で、建久2年(1191年)千葉頼胤の長男長坂太郎良胤が胆沢郡百岡からこの地へ移ってきたと云われる。
長坂千葉氏はこの地で代々続き、戦国時代には葛西氏に属していた。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で葛西氏の諸将はこの唐梅館に集まって小田原へ参陣するかどうかの評議を行った。しかし、葛西氏は奥州仕置きによって滅亡し、長坂千葉氏もまた運命をともにした。
唐梅館は猿沢川と山谷川の間に聳える標高249.4mの唐梅舘山に築かれている。現在は公園として整備されている。
唐梅館は山頂の主郭を中心に同心円状に帯曲輪を配している。主郭は北側に土塁があり、この土塁の上に初代千葉頼胤の供養塔が建つ。西下にあるのが二郭で、ここには窪地があり池のようなものがあったようだ。
南麓にある掻引城は唐梅館の平時の居館と考えられている。
車の場合、唐梅館総合公園の駐車場からさらに山上へと続く林道があり、これを登っていくと北側の尾根に達する。この辺りに車を駐めて歩くとすぐに本丸に至る。
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