詳細不明。城主は新沼長門、新沼左京などが伝えられる。天照御祖神社の由緒によれば、天照御祖神社は永正元年(1504年)猪川築館の城主新沼長門、藤原定家が奉祀したといい、永正6年(1509年)に落城したという。
猪川城は盛川に面して南へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれていたといい、現在は天照御祖神社の境内となっている。
『岩手県中世城館跡分布調査報告書』によれば、遺構は不明瞭ながら北側の尾根に空堀の遺構があるという。ただ現在は三陸自動車道が貫通しており、この部分の遺構は消滅しているものと思われる。
大船渡地区合同庁舎の隣に参道の入口がある。
最寄り駅(直線距離)