築城年代は定かではないが建武3年・延元元年(1336年)以前に工藤氏あるいは安保弥五郎入道によって築かれたと云われる。建武3年と4年に起こった田舎楯合戦で大光寺城主曾我太郎貞光と戦っていることから、この頃には城館があったと見られている。
文明7年(1475年)浅瀬石城主千徳正久の二男千徳大三郎貞武(政実)が改修して田舎館城を居城とした。
天正13年(1585年)千徳掃部政武の時、大浦為信によって攻められ落城し滅亡した。
田舎館城は現在の田舎館村役場の東側一帯に築かれていた。
田舎館城は本郭・外郭・新館・本郭東郭の四郭で構成されていたという。 現在明瞭な遺構はほとんど残っておらず、「ヤマコ」と呼ばれる小高くなった場所があり、ここに案内板が設置されている。この「ヤマコ」が本館の北端に位置し、役場側から見ると小高くなっているのがわかる。また生魂神社には千徳掃部追悼碑がある。
なおこの隣に城郭風の建物があるのだが、これが田舎館村役場である。
田舎館村役場を目指す。役場の南側の県道268号線を東へ進むと右側に生魂神社があり、その手前の道を北の集落に入ってしばらく進むと、左側に標柱が建っている。ここが「ヤマコ」である。
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