築城年代は定かではない。
永正7年(1510年)上杉顕定が没すると伊勢宗瑞が関東に侵攻、上杉朝良の被官上田蔵人は伊勢宗瑞に呼応して権現山城に楯籠もる。いわゆる権現山の合戦であるが、この戦いは上杉方の勝利で権現山城は落城した。
権現山城は幸ケ谷公園のあたりとされていたが、近年の研究によって幸ケ谷小学校のあたりであったことが判明した。
かつては海に面してひときわ小高くそびえていた権現山であるが、幕末の神奈川台場や明治以降鉄道建設などのために土取され山自体が削られてしまっている。
幸ケ谷公園の一角に権現山や権現山合戦にふれた案内板が設置されている。