築城年代は定かではない。
織田信長の美濃攻めに従軍して伊木山に籠もった斎藤軍と戦ったときに軍功があり、信長より伊木山に築城を許された香川清兵衛が伊木山城を築き、以降伊木氏を称したとの伝承がある。
伊木氏は初代忠次が信長に仕え、後に池田氏に仕えるようになり、天正18年(1590年)池田輝政が三河国吉田の城主となると、その支城である田原城主となる。慶長6年(1601年)関ヶ原合戦の功によって輝政が播磨国姫路城主となると筆頭家老として播磨国三木城主となっている。
伊木山城は木曽川北岸に聳える標高173mの伊木山山頂に築かれている。
伊木山自体は比較的大きな独立丘陵であるが、城が築かれているのは山頂部のごく一部であった。発掘調査で石垣などの遺構が見つかっているが、大半は埋め立てられていて、夏場に簡単に歩いただけでは石積遺構を確認することができないかった。山頂にはかつて航空機監視施設があり、現在は無線塔が建っている。
山頂からの眺望は殆ど無く、犬山城は東端のキューピーの鼻展望所から見ることができる。
北側の山腹に伊木の森公園の駐車場があり、山を歩く遊歩道は無数にあって色々なルートを散策できる。
最寄り駅(直線距離)