美作 鶴田陣屋みまさか たづたじんや
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慶応3年(1867年)松平武聡によって築かれた。 松平武聡は石見国浜田藩として浜田城にいたが慶応2年(1866年)第二次長州征伐の時、長州兵に攻められ城下に火を放ち飛領地であった美作国鶴田へ逃亡して築いた陣屋が鶴田陣屋である。
現在残されている遺構は西御殿として築かれたもので東御殿も築城されていたが完成をみず廃藩置県により破棄された。
現在は石垣の上に土を盛った腰巻石垣が残る。