築城年代は定かではない。城主は岩倉権頭晴時で、康安2年(1362年)山名時氏・師氏父子に攻められ落城、討死したという。
波作利城は蒜山ICの南方にある、北へ伸びた尾根の標高720m付近に築かれている。
曲輪は南北三段で、南端最高所の曲輪Iは中央西端に櫓台のような土壇Aが設けられている。北端の曲輪IIIと曲輪IIの間には土塁があるが、西側が開口する。曲輪IIの西側には虎口がある。
主郭の南背後は巨石が多くあるが、基本的に堀切で遮断しているようで、堀切から東へ竪堀が長く伸び、下のほうでは畝状竪堀群のような形の連続竪堀になっている。連続堀切2から伸びる竪堀の途中には連続した窪みが確認できるが、その性格は不明である。
案内板は北麓の国道482、県道58、113の分岐から県道58号線に入った所にある。
登山道はないが、西から未舗装林道が背後の尾根のところを通っており、この尾根からアクセスするのがわかりやすい。