築城年代は定かではないが吉良氏によって築かれた。 東条吉良氏は貞応元年(1222年)足利義氏が三河国幡豆郡吉良荘の地頭として移り、足利満義が東条郷を譲られ東条吉良氏を名乗った事にはじまる。
応仁の乱では東条家と西条家が山名方と細川方に別れ一族で争った。
永禄4年(1561年)徳川家康が東条城を攻め、吉良義昭は降伏し、東条城には青野松平家から家忠が入城して、東条松平氏の祖となった。
東条城は南西に伸びて丘陵の上に築かれており、現在は古城公園として整備されている。
小さな城であるが、櫓や櫓門が復元されており見栄えのする公園である。
北側の県道の南側に小さな駐車場があるがわからづらい。 公園に登る細い車道の東約50mのところに小さな看板があり、民家の庭先のようなところが駐車場である。
最寄り駅(直線距離)