正保3年(1646年)七千石の旗本松平乗次の養子であった松平乗真が三千石を分与されて足助を領した。寛文9年(1669年)松平乗真は大給藩の家督を継いで一万六千石の大名となった。
その後、天和元年(1681年)本多淡路守忠周が陸奥国白河五千石から三河国賀茂郡に移封となり、足助に陣屋を構えた。天和2年には丹波国で二千石、天和3年には寺社奉行となって三千石の加増を受け一万石となって大名に列したが、元禄2年(1689年)三千石を減封され七千石の旗本に戻り、以後本多氏は旗本として明治まで続いた。
足助陣屋は旧足助町役場、現足助農林業振興センターの地に築かれていたが、 現在は遺構は残っていない。