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写真館(10枚)
- 形態
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平城
- 歴史
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築城年代は定かではないが木部氏によって築かれた。
木部氏は源範頼の末裔といわれ、戦国時代の城主木部範虎は箕輪城長野業政の娘を娶っていた。
永禄6年(1563年)武田信玄が上野に侵攻したとき、範虎父子は木部城を捨て箕輪城に逃れた。
信玄は木部城に陣して倉賀野城を攻めたが落とせなかった。
しかし、翌永禄8年に倉賀野城、永禄9年には箕輪城をも落とした。
後に範虎は武田氏に降伏し、天正10年(1582年)武田勝頼が天目山にて自刃した時に、それに殉じて討死している。
子貞朝は豊臣秀吉による小田原の役で、小田原城に籠城し討死した。
- 説明
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現在は城址に心洞寺が建ち、木部城主之廟や木部氏に仕えた須川氏の墓所がある。
土塁のようなものがあるが遺構かどうかは不明。
- 城主
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木部氏
- 所在地
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群馬県高崎市木部町字丸の内(心洞寺)
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- 最終訪問日
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2007年5月
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