築城年代は定かではないが弘治年間(1555年〜1558年)曽根弾正によって築かれたと云われる。 曽根氏は近江国六角氏の一族で、曽根・賀田・古江・梶賀の四郷の村民は盗賊や海賊から村を守って欲しいとの願いを六角氏に嘆願し、一族である佐々木宇右衛門正吉が一族郎党を率いて曽根に住み、曽根・賀田・古江・梶賀・須野・甫母・二木島浦・二木島里の八村を領して曽根氏を名乗った事に始まるという。
曽根氏ははじめ伊勢国司北畠氏に属していたが、北畠氏が織田信長によって滅ぼされると、曽根弾正と子の孫太郎は新宮を拠点に勢力を拡げていた堀内氏善に従って三木城を攻めた。
朝鮮の役では堀内氏善に従って、孫太郎の子新吉が曽根弾正と名乗り従軍したが討死して、家督は弟久三郎が継いだ。関ヶ原合戦で主家堀内氏善は西軍に属して改易となり、曽根氏も没落した。
曽根城は曽根町の南にある山塊から東の谷に向かって伸びた尾根の頂部標高180m付近に築かれている。
西へ伸びた尾根を三条の堀切で断ち東西に曲輪を並べている。山上はゴツゴツした岩場が多く、それほど広い削平地はない。堀切は明瞭で石積されている部分もある。
国道311号線沿いにある飛鳥神社を目指す。そこから集落内の道路に入って直ぐにある「市役所南輪内出張所」に曽根城や曽根館など周辺を案内した冊子が置いてあるので頂いて行くと良い。道標に従って行くと城山公園の駐車場まで車で登ることができる。大雨が降っていたので登れるかどうか不安であったが、新しく整備された遊歩道は傘をさしていても楽々登れる程に整備されていた。駐車場からの比高は約100m程。
最寄り駅(直線距離)