築城年代は定かではないが伊丹氏によって築かれた。
伊丹市は摂津国伊丹城主であった伊丹氏の末裔で、母方の岡部氏を頼って今川氏に仕えていたが、今川氏没落後は武田氏さらに徳川氏に仕えた。
江戸時代はじめの伊丹康勝は寛永10年(1633年)に甲府城番に任ぜられて三千石の加増を賜り一万二千石となって諸侯に列し、甲斐国徳美藩となっている。
承応2年(1653年)康勝が没して勝長が家督を継ぐと、このとき弟勝重に二千六百石余を分与して旗本となったのが市原伊丹氏の始まりで、その後増減があって三千石の旗本として明治まで続いた。本家である甲斐国徳美藩伊丹氏は元禄11年(1698年)に藩主勝守が自害して断絶となり改易されている。
内田陣屋は現在の内田小学校のあたりに築かれていた。小学校の入口あたりに土塁があり、これが陣屋の遺構と見られている。