築城年代は定かではないが武田信義によって築かれたと云われる。 信義の武田信義館の要害城として築いたものだと云われる。
その後、この地は信義の子一条忠頼の遺領を継いで一条氏を名乗った信長の末裔である時光が青木氏を名乗り、さらに青木信種の次男信明が山寺氏を名乗って領地とした。
この山寺氏は武田氏滅亡後も徳川氏の家臣となって甲府城番を勤めたという。
白山城は白山神社のある標高561.1mの山に築かれている。現在は国指定史跡として整備されており、遺構の状態も非常に良い。
主郭は山頂にあって土塁が全周し南東隅に右折れで入る虎口1を開く。主郭の北から東にかけて帯曲輪IIがあり、北は曲輪IVに対して土橋の架かる平入虎口、南端は曲輪IIIに通じる虎口を開く。
北端にある曲輪IVは馬出で堀切1、7、横堀8で周囲を固め、東に虎口3を開く。虎口3からのルートは堀切1、7から伸びる竪堀で遮断されており、はっきりしないが東麓の大慈寺のほうに降りていたようだ。
主郭の南下には曲輪IIIがあり、西端は一段高く主郭の南西隅と結合する。これが主郭の搦手であろう。曲輪IIIの東端には虎口2があり、そこから続くルートは白山神社からの登山道となっているが、竪堀に挟まれた間の部分に横堀9や帯曲輪を設けており、ここも城道であったと考えられる。
城の東側面にはやや間隔を開けた畝状竪堀群2があり、南端付近は横堀を伴う。
南東山腹にある白山神社から登山道がある。白山神社の参道入口に動物除けの柵があるが、これを開けて進めば境内に駐車可能。
また北麓の武田八幡宮からの登山道もあり、こちらは八幡宮の駐車場を利用できる。
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