築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に小田常陸守によって築かれたと云われる。尼子清定の家臣小田常陸守の居城であったという。
(注)常陸国は親王任国であるから"常陸守"ではなく"常陸介"ではないかと思うが、案内板、日本城郭体系などでも"常陸守"となっているのでそのままとする
城山の形が富士山に似ていたので富士ヶ城と呼ばれるようになったとのことであるが、現在は土取りによってその形を大きく変えている。
城山は小田川の西岸にあり、支流が城の西側を通って北側で小田川に合流しており、南側を除いて川に囲まれた要害の地に築かれている。現在登山道が整備されている南側の山とは別に、その北側にある小山にも曲輪が残っているらしいのだが、どこから登っていいのやらさっぱり見当がつかないので、そちらは登っていない。
登山道を登りつめると、案内板が設置されている南北に長い曲輪へ到達する。 これを北の尾根先へ進んで行くと一段下がった小郭があり、西側に低土塁が残っている。 南端部分は幅3m高さ30cmくらいの一段高くなった地があるが、土塁だろうか?東側より西側のほうがやや幅広である。
国道9号線から小田駅の方に曲って駅前を右折して県道280号線に入り、小田温泉前の橋の西詰を左折して南下する。和歌山権現の手前にy字路があり、そこに道案内付きの案内板がある。y字路を右へ進んで行くと城山の南側にある登山口の道標がある。駐車場はない。
最寄り駅(直線距離)