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写真館(203枚)
- 史跡指定
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府指定史跡
- 別名
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千亀利城
- 形態
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平城(8m/4m)
- 歴史
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築城年代は定かではない。建久年間(1190年〜1199年)には岸和田古城に和田氏がおり、その後も信濃氏や細川氏、松浦肥前守、三好義賢などがこの辺りに城を構えていた。
近世城郭として整備し始めたのは小出秀政の頃で、文禄4年(1595年)頃には三万石の大名となり、五重の天守を造り始め、慶長2年(1597年)に完成したという。
慶長9年(1604年)小出秀政が没すると、但馬国出石城主であった小出吉政が岸和田へ移り、出石城は子の吉英が継いだ。
その吉政も慶長18年(1613年)に没し、出石より小出吉英が岸和田へ移ると、慶長19年(1614年)には大坂冬の陣で松平信吉が城代となり、小出吉英は先鋒として出陣した。
| 和暦(西暦) |
事象 |
| 元和5年(1619年) |
小出吉英は但馬国出石へ転封。
丹波国篠山(松井)松平康重が五万四百石で入封。
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| 寛永8年(1631年) |
康重は高直しにより六万四百石。
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| 寛永17年(1640年) |
松平康映が家督を相続。このとき早世した兄康政の長男康朗に五千石、弟康命に三千石、弟康紀に二千石をそれぞれ分与し、五万四百石となる。
松平康映は播磨国山崎に五万石で転封。
岡部宣勝が摂津国高槻より六万石で入封。
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| 寛文元年(1661年) |
家督を継いだ岡部行隆は弟高成に五千石、弟豊明に二千石を分与して五万三千石となる。以後、岸和田藩は代々岡部氏が続き明治に至る。
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- 説明
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岸和田城は岸和田市役所の隣にあって公園として整備され、本丸、二ノ丸とそれを囲む水堀が良く残されている。
本丸には昭和に建てられた三重の天守が建ち、展示がなされている。
本丸内には諸葛孔明の八陣法をモチーフとした石庭が造られている。
- 城主
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中村一氏,小出秀政,小出吉政,小出吉英,(松井)松平康重,(松井)松平康映,岡部宣勝,岡部行隆,岡部長泰,岡部長敬,岡部長著,岡部長住,岡部長修,岡部長備,岡部長慎,岡部長和,岡部長発,岡部長寛,岡部長職
- 案内
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最寄り駅(直線距離)
0.3km 蛸地蔵駅
0.7km 岸和田駅
1.6km 和泉大宮駅
1.7km 東岸和田駅
1.9km 貝塚駅
- 所在地
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大阪府岸和田市岸城町
- GPSログ
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トラックデータダウンロード : [KML形式][GPX形式]
- 最終訪問日
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2019年9月
- 縄張図
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現地案内板より
- 建物
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| 天守(復興 天守)
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| 本丸隅櫓(復興 櫓)
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| 二ノ丸隅櫓(復興 櫓)
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| 大手門(復興 櫓門)
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